
活けるキリスト
一麦宝塚チャペルへようこそ
私たちの教会は、阪急&JR宝塚駅から西に6分の所にあります。
毎週日曜日には10時15分~11時45分まで聖日礼拝を老若男女様々な方が集い、神様に礼拝を献げています。
毎週金曜日午後15時15分からお子様を対象に耳を鍛える英会話教室(キッズブラウン)も行っています。
神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか?」(聖書・創世記)
これは聖書のことばです。忙しい日々の中で、あなたの心の居場所が解らなくなっていませんか?
聖書のことばの中に心の居場所があります。何方でも教会へおこしください。心よりお待ちしています。
礼拝のご案内
礼拝のスケジュールを紹介します。
どの集会も自由にご参加いただけます。
日曜礼拝 | 日曜 10:15~11:45 | 礼拝を献げています。 |
祈祷会 | 水曜 10:00~11:30 水曜 19:30~20:30 | シリーズで聖書を学び、祈祷課題に沿って祈り合います。 |
そのほか | 早朝祈祷会・地区集会 |
賛美 | 聖歌や新しいゴスペルソングを歌います。 |
主の祈り | イエス・キリストが教えてくださった祈りです。 |
使徒信条 | 「私たちはこのように信じています」という信仰告白です。 |
交読 | 司会者と会衆が「交読文」を交互に読みます。 |
祈り | 司会者が代表して祈ります。 |
賛美 | 聖歌や新しいゴスペルソングを歌います。 |
聖書の話 | 牧師が聖書から分かりやすくメッセージを伝えます。(約30分) |
賛美 | 聖歌や新しいゴスペルソングを歌います。 |
献金 | 神に感謝してささげます。(自由) |
頌栄 | 最後に神にささげる賛美です。 |
祝福の祈り | 牧師が祈ります。 |
礼拝後…
昼食 | ご都合よろしければどうぞ。 |
フリータイム | 自由に歓談したりする時間です。 |
ごあいさつ

一麦宝塚チャペルのホームページへようこそ
生けるキリスト一麦チャペルは、2020年4月1日、一麦西宮教会のブランチ教会から独立して、一麦の群の19番目の教会として設立されました。ちょうど時を同じくしてコロナ禍が始まり、少人数の恵みの故にずっと礼拝を続けることができ感謝です。YouTubeのライブ礼拝、CDでの礼拝も併用しております。
活けるキリスト一麦宝塚チャペル 土田典子牧師
プロフィール
兵庫県丹波市市島町下竹田、京都府と兵庫県の県境、塩津峠の麓の樽井に生まれる。イエスさま・聖書も全く知らず、幼ない時から仏壇・神棚に手を合わせることが普通である檀家総代の家庭で過ごす。
阪神間に出て来て、長年、宝塚市立中学校に勤務、安倉中学校で能登輝彦校長に出会い、実姉の土田さとみ師(現一麦東京教会牧師)や、多くのクリスチャンの祈りの中、1981年9月受洗。10年後、教諭を辞し、関西聖聖書神学校入学。
1995年4月(阪神大震災の年)母教会の一麦西宮教会に赴任。10年後2005年、ブランチ教会に専任牧師として派遣。2020年4月独立、現在に至る。
沿革
1995年7月 一麦西宮教会ブランチとして一麦宝塚チャペル発足。
2005年4月 専任として土田牧師赴任。(宝塚ソリオ2の2F)
2007年11月 栄町に移転。
2020年4月 独立。現在に至る。
礼拝メッセージ 2022年10月2日
「あなたはわたしを愛していますか。」~ペテロの回復
「あなたはわたしを愛していますか。」私自身も、もう一度、深く自分を顧みるときともなりました。
21:22「それがあなたと何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」私の献身のみことばです。(受洗後10年目39歳1991年,名古屋新年聖会早天礼拝;大阪の原村師)
31年になりますが、何かあるたびに「このみことば」が支えでした。あなたが従いなさい、と言われたから従って来た、というものがいつもありました。今回、私は本当に主イエスを愛しているのか、と問われました。イエスが、どんな時、どんな場面で言われたことばでしょう。
復活されたイエスが地上で現れたのは10回です。復活の日曜日に5回、その後の40日間に5回。弟子たちに現れたのは、復活の日、トマスがいない夜、8日後の日曜日トマスもいた時、そしてここは、⑦回目のガリラヤ湖の岸辺で復活されたイエスの記事です。
①21:1-14 岸辺に立つイエス
v.1 ガリラヤ地方のティベリア湖(ガリラヤ湖)、弟子たちはついにガリラヤに帰って来ました。
弟子たちはエルサレムで、驚くべき体験の連続でした。日曜日エルサレム入城、メシア的王国を期待する民衆と弟子、ユダの裏切り、自分たちも逮捕されそうになり、リーダーであるペテロがイエスを3度否み、そしてイエスの十字架での死、埋葬、これでもう終わりと思いこんでいたが復活され2回も現れた。不安、恐れ、将来の事、大混乱の中にいる弟子たちの姿です。
3年前は、イエスの偉大な力に引きつけられ、全てを捨ててイエスについて来たペテロ。
マタイ4:19「わたしについて来なさい。人間を取る漁師にしてあげよう。」
今は、故郷に帰りこれからどうするか、「わたしは、よみがえった後、あなた方より先にガリラヤへ行きます。そこで会えます。」(マルコ14:28、マタイ28:7)と言われていたが,イエスを待っていても中々現れない、元の漁師に戻るか、イエスについて行った3年半、特に最後の過ぎ越しの木曜の夜のことを思いつつ、もんもんと苦悩するペテロです。
v.2-3 ペテロが「私は漁に行く=漁師に戻る」他の6人も一緒に漁に行くが、夜から夜明けにかけて「その夜は何も取れなかった。」
「私たちの力が尽きた時こそ、神が力を働かされるときなのです。」 うまくいかない時、思い通りにならない時、自分の力、経験では何ともならないとき、神の力が働く時なのです。その時こそ、神が使いやすい器とされるときなのです。そんなとき、
v.4-6 「イエスが岸辺に立たれた。」のです。しかし、だれもイエスだとは分かりません。
ルカ5:1-11ペテロが最初に召命を受けたときと、同じ光景です。イエスの言われる通り、舟の右側に網を打つと、おびただしい数の魚、153匹の大きな魚でいっぱいでいでした。
v.7-14 ペテロはとにかく早くイエスのところに行きたかったので、湖に飛び込み、岸辺に上がると、炭火の上に焼いた魚とパンがあり、イエスは弟子たちを食事に招かれました。復活されたイエスとの和解の食事です。黙示録3:20「戸を開けるなら共に食事をする。」
弟子たちはいろんな事を思いながら、黙って食べています。この炭火の場面は、ペテロがイエスを否んだ時の光景を思い出します。ヨハネ18:18「寒かったので炭火を起し,暖まっていた」
イエスが十字架に架かられる前に言っていた自分のことば、姿を思い出していたことでしょう。「あなたのためなら命を捨てます。たとい皆があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません。たといご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。あなたとご一緒なら、牢であろうと死であろうと覚悟はできております。」と言いながら、結局は自分がかわいいのです。「そんな人は知らない」と呪いをかけて誓うペテロ、3度も。
②21:15-17 ペテロを回復するイエス
そんなペテロに、イエスはシモン・ペテロに面と向って、一対一で言われています。
イエスは「ヨハネの子シモン。」と一回一回、初めてであった時の名前で呼ばれ、第一声は
「あなたはわたしを愛していますか。」 イエスのことばは、心・感情に集中し刺し通します。
へブル4:12「…魂と霊を分けるまでに刺し貫き…」 自分でも思いもよらず裏切ってしまった、自責の念に堪えず、自分自身に愛想も尽き果てているのに、なおも愛を求めてくださる。「わたしを愛しているか」と。イエスは、絶えず「わたしを愛してほしい」と求め続けられる。
深いへりくだりの中で、「主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です。」ペテロはもはや何も主張しない。「心を痛めて、主よあなたはすべてをご存知です。」自分の力,自分の愛,自分の熱心,自分の判断でやって来たが、それがいかに頼りにならないものかを認めるペテロ。全く叱責されないイエスの深い愛,悲しみさえ覚える主の恵みに,心砕かれ自我の死を知り,1回目、2回目、3回目と、どんなに主を愛しているかをどんどんと悟っていきます。
次の段階は、主が新しい使命を与えられます。この主イエスの深い愛を外に表す、ことです。ペテロが,どんなに主を愛しているのかと言い現わすのではなく、イエスの羊を飼うことです。
いろんな羊がいます。神の愛は疲れ果てず、どんな人にも注がれるのです。私の内に在る愛が、一つの中心から溢れ流れ出ているから。主の赦しは完全、忘れる、思い出さない、それだけでなく、あなたを用いたい、あなたが必要と言ってくださるから。
ペテロは、人間を取る漁師から牧会者に!やがて教会が誕生していくのです。
③21:18-22 あなたは、わたしに従いなさい。
ペテロの神の栄光を現わす死に方、殉教の死をも示されます。
ペテロはヨハネが気になり、イエスから目を離すとすぐに比較の世界へ、落ち込みます。
「この人はどうなのですか。」 「あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」 愛するとは従うこと、従うとは愛すること。まことの力,真の愛の力は,弱さを経た力,自分がどんなに力の無い者であるかを知った者の力です。
マタイ16:24「だれでもわたしについて来たい、イエスに従いたい、イエスを愛したいと思うなら、自分を捨て…」あなたは、自分を捨てたいと思われた事はありますか。自分の権利,自分の身を守ろうとする,自己弁護,自我…どこまでこんな自分を引っ提げて生きて行くのか。自分の何かではなく、全てのもの自分自身を十字架に捨てるのです。
「あなたはわたしを愛していますか。」
「イエスをいつも喜び,イエスに絶えず祈り、イエスにすべて感謝!」
礼拝動画





よくある質問

誰でも教会に行ってもよいのでしょうか?

はい、どなたでも歓迎いたします。予約の必要はありません。教会に行くのが初めての方、家の宗教が違う方、お子様も一緒にお越しいただいて問題ありません。
「イベントのチラシをもらい、興味がある」「教会の中を見てみたい」「賛美歌を聞いてみたい」「本家のクリスマスっぽいイベントのぞいてみたい」「精神的に疲れた、休みたい」など、気軽にお越しください。

初めて教会の礼拝に行ったときはどうすればよいですか?

受付けで「初めてなのですが」など、声をかけていただければご案内いたします。聖書や歌集、礼拝順序が載っている「週報」などをお渡しします。よろしければ、前もって連絡して頂ければスムーズに対応させて頂きます。
また、差し支えなければ「来会者カード」にご記入ください。記入不要であれば「見学だけさせてください」と断られても結構です。

服装、持ち物はどうしたらいいですか?

普段着で大丈夫です。特別な持ち物はありません。
礼拝で使用する聖書や歌集は、受付けでお貸出ししています。

駐車場や駐輪場はありますか?

教会の隣にコインパーキングがございます。

礼拝では何をするのですか?

礼拝では賛美歌を歌ったりお祈りをしたりします。また、聖書を読み、牧師が聖書のお話をいたします。また、受付けでプログラムをお渡ししています。

礼拝に参加して費用はかかりますか?

いいえ、かかりません。礼拝の中で「献金」という時間がありますが、これは「信仰に基づく神様への応答を意味し、自発的なささげもの」のため、強制的なものではありません。お賽銭・会費・入場料・聴講料といったものではありません。初めての方はなさらなくても結構です。

牧師に質問や相談はできますか?

はい、もちろん大丈夫です。お話を伺います。礼拝後に声をかけていただくか、事前に電話やメールで日時のご相談をいただければ平日でも可能です。
教会の活動
交流会や季節の行事などがあります。
もちろん洗礼を受けていない方もご参加いただけます。ぜひお声がけください。

毎週金曜日15時15分クラス
16時15分クラス
そのほか、不定期の集会や季節ごとのイベントなどがあります。
お知らせ
アクセス
住所 | 〒665-0845 兵庫県宝塚市栄町3丁目5−11 |
TEL/FAX | 0797-86-3701 / 0790-26-7790 |
takarazuka-nori@kpd.biglobe.ne.jp | |
最寄り駅 | 阪急&JR宝塚駅から西へ徒歩5~6分 |

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活けるキリスト一麦の群れについて
私たちの教会は単立一麦の群れに所属しています。
当教会の「キリスト教界の中での位置づけ」をご紹介します。

カトリックの教会ですか?プロテスタントの教会ですか?

一般に「プロテスタント」といわれるキリスト教会です。

どんな「信仰の特徴」がある団体ですか?

はい、「聖書を誤りのない神の言葉」と信じ、教会の拠って立つただ一つの正典であり、信仰と生活の基準としています。
教理的には「メソジスト」といわれる教派に近い立場(ウエスレアン・アルミニアニズム)です。「福音主義」といわれる教会の一つです。

他のキリスト教会との関係はどうですか?

教団として「日本福音同盟(JEA)」に加盟しています。
日本福音同盟(JEA)は、聖書信仰に立つ福音的諸教会の交流・協力機関で、「相互理解と交わりの促進・諸問題への対処・各種専門委員会による調査研究の実施と情報の提供・世界の同様な団体との協力提携」などを目的としています。現在、約100団体が加盟しています。
(一麦の群れ教会の一覧はこちらをご覧ください)
「主の祈り」と「使徒信条」
「主の祈り」とはイエス・キリストが教えてくださった祈りです。
「使徒信条」とは「私たちはこのように信じています」という信仰告白です。
ねがわくは 御名をあがめさせたまえ
御国を来らせたまえ
御心の天になるごとく
地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いいだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。
アーメン
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当教会は、統一協会/ものみの塔(エホバの証人)/モルモン教ではありません。
お困りの方はご相談下さい。